アンダー4年目の苦悩│渡邉歩に聞く「僕の自転車人生のピークは来年ではない」

アンダー4年目の苦悩│渡邉歩に聞く「僕の自転車人生のピークは来年ではない」

2018年ツール・ド・ラヴニールより
photo:jeep.vidon

フランス語でアンダー23カテゴリーは、「エスポワール(=希望)」。しかし新型コロナウイルス禍に巻き込まれた後の自転車界では、もっぱらこんな風に呼ばれています。

「2020年のエスポワール4年目は、デゼスポワール1年目」

デゼスポワール、つまり絶望……。

なにしろアンダー4年目の選手たちにとって、レースを走れないことは、いわゆる大学4年生が就職活動の機会を奪われたのと同じこと。8月中旬に予定されていたアンダー最高峰の戦い、ツール・ド・ラヴニールさえも、開幕2週間前に中止が発表されました。

🐾🐾🐾

プロ自転車選手を目指し、高校卒業後すぐにフランスへ渡った渡邉歩選手も、デゼスポワール1年目のひとり。3月中旬に緊急帰国した日本で、不安な春を過ごしました。

それでも8月には再び渡欧し、未来への希望をつなぎます。

渡邉選手が複雑な思いと、固い決意とを、語ってくれました。

渡邉 歩(わたなべ あゆむ)
1998年3月8日生まれ、22歳。浅田顕の率いるEQADS所属。2020年はフランスのアマチュアチーム、Les Sables Vendée Cyclismeの一員として走っている。世界選手権はジュニア部門2回出場、U23部門1回出場。

公式ホームページ:アユムのあゆむ道
YouTube公式:渡邉歩 AyumuWatanabe 「アユムのあゆむ道」
これからは動画Vlogも充実させていく予定とのこと!


狙っていたレースの直前に
感染禍が始まった

正直、こんなことになるんだったら、春先の一発目からもっと真剣に……と後悔もしました。でも、実は、狙っているレースがあったんです。そのレースで好成績を出すために、ひたすらシーズン序盤は走っていました。昨年末からチームや関係者と話し合って、しっかりと決めた目標です。3月8日でした。

その準備として2月の後半に、プラージュ・ヴァンデアンという、10日間で7レースを走るシリーズに出場しました。そこにはやることをしっかり決めて臨みました。今回はこういう走りをしてみよう、次はこうやってみよう、って。自分の体がどんなふうに仕上がっていくのか、どう仕上げればいいのか、そんなことがアンダー4年目にしてようやく分かってきていたんです。

おかげに日に日に感触もよくなっていって。レースもよく走れていた。これなら3月8日のマンシュ・アトランティックで、いい結果が出せるぞ、って思えるところまで調子を持っていけた。このレースはブルターニュのアマチュアレースで、いわゆる「登竜門」的な大会です。ここで一発いい成績を出せたら、一気に上も狙えるようなレースです。

で、結局、そのレースが中止になったんですよね。

その後もレースが2つあったんですけど、結局2つともなくなった。だから「ああ、これはもう、フランスにいても、しばらくはレースはないんだな」と理解しました。これが日本に一旦帰るきっかけになりました。心の中では「どうしようか」という思いが最後までありましたけど……。


プロ入りへ向けて
示せる材料がない

正直、日本に帰ってきた時は、からっぽでした。いや、むしろ、「うわぁぁぁぁぁぁ」っていう感じでしょうか。

今も「どうしようか」という気持ちを抱えています。あの時の「どうしようか」とは意味が違っていて、「来年どうしようか」という思いです。

僕にとって、今の状況は大問題です。来年はプロに上がる、と心の中で決めていましたから。でも今の時点で、プロ入りに向けて評価の対象となるのは、春先の、狙ってたレースの前に残した中途半端な成績だけ。

たとえば「脚がある」とか、「使えるやつだ」とか、「調子が安定してる」とかってのは、所属チームには分かってもらえても、それを結果として出せていなければ、外に示せるものがない。

こんな状態でどうチームに売り込んだらいいのか……っていうのが一番、不安です。

しかも全世界の全選手が同じ状況に陥っている。プロ選手だって来年どうなるか分からない状態です。そもそもどれだけのチームに、来季ネオプロと契約する余裕があるのかさえ分かりません。とにかく「どうしていったらいいのだろうか」っていうのが本当に正直なところです。

それでも、自転車を諦めるという気持ちは、一切ありません。本気でプロに上がりたい。じゃあ、今の状況で、それをどうやって示すべきなのか。ぐるぐるとそのことばかりを考えています。


シーズン再開後は
とにかくやるしかない

8月にヨーロッパに戻って、レース活動を再開します。シーズンは短くなりますけど、ベストを尽くします。

日本にいる期間中にしっかり土台を鍛え直して、勝てる体に作り上げます。そして欧州に帰った8月か9月には、勝てるように。どこかしらで勝てるように……。

シーズンが再開されても、走る機会がどれだけあるのか、レースがどれだけ行われるのか分からないですからね。とにかく1戦1戦に集中していくだけです。

来年プロになるのは、現実的に考えて、かなり難しい状態です。それでもベストは尽くさなきゃならない。なにが起こるか分かりません。とにかく自分の存在を走りで示すことが、次につながると考えています。

1度でも好成績を出したい。1度でも良い感覚をつかみたい。そうすれば、次からもっと楽に走れようになると分かっていますし、常にいいところに入れるような走りができるようになれば、プロチームの関係者からも「ああ、こいつは話をする価値がある選手だ」と評価してもらえますから。

それに、選手にとっては、「勝てるイメージが湧く」って結構大切なことなんですよ。そのイメージがなかったら、そもそも今まで自転車に乗っていません。やっていて楽しいし、これなら勝負できる、ってこれまで信じてきましたし、この春も信じてました。

だからシーズン再開後も、もう、やるしかないっていう思いだけですね。


アンダーが終わって
もしもプロになれなかったら

もちろんアンダーの終わりは、区切りの年です。だからこそ来年はプロで走る、と固く決めてたんです。でも、このまま、来年もプロになれなかったらどうするか。

自分は今、全面的に両親のすねをかじっています。じゃあ、この状態をもう1年続けるのか、と考えるとそれは違う。そもそも日本の学校的な年齢から考えると、自分はただでさえアンダーが1年長いんです。石上(優大)と同じ学年ですから。

その石上は今年プロに上がって、すでに自分のお金で生活しています。じゃあお前はどうなの、お前はもう1年これをやるのか?ってなると、やっぱり違いますよね。両親にはいっぱい苦労をかけてますし、今回だってフランスから帰って来た時に、いつも以上に心配してくれて、すごく迷惑かけちゃいましたし……。

だから来年プロに上がれずに、それでも選手活動を続けるなら、別のやり方を探さなければならないと分かっています。活動費を手に入れる方法を考えなきゃならない。

可能であれば、欧州のアマチュアチームでレース活動を続けたい。もしも、欧州で続けられる活動費がないのであれば、国内で走るのも選択肢のひとつだと思ってます。国内のお金をいただけるチームで走り、しっかりと実力もつけていく。「1年で卒業してやる!」っていう気持ちで走る。実際に欧州のプロに上がった選手も、少ないながらゼロではありませんから。

とにかくベストな道を選びたいですね。


自転車人生のピークは
来年ではない

「日本人は成長が遅い」とも言います。その言葉は、甘えなのかもしれません。でも、こういう状況になった以上は、それを信じてやりつづけるしかない。

自分は「プロに上がる」っていう思いで自転車に乗ってきました。だから自転車をやり続けたい。プロに上がりたい。プロとして生計を立てたいし、プロになった自分を見てみたい。モニュメントを走り、ツールに出てそこで逃げて成績を出し、ワールドツアーの選手として日本のレースを走りたい……。

なんか夢みたいな話かもしれません。現実は分かっているつもりなんですけど、それでもやっぱり見ている人たちに熱い思いを抱かせる、そんな走りがしたいんです。

たとえば中根さんのランカウイの走り……僕、ずっと見てました。それから石上の働きとかも。表には見えないものかもしれないけど、やっぱり石上の走りからはすごく刺激を受けます。僕もそういう選手になりたい。そういう熱いものを残せるような人になりたい。だからプロを目指してやっていきたいですね、これからも。

来年が自分の自転車人生のピークではないんです。ピークはまだまだ遠い先にある。だからそのピークに向けて、今年、来年、どのステップを踏んでいくか。それが今の僕には、一番重要なことだと思っています。

text:みやもとあさか